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英文解釈考

0 名前:名無しさん:2005/02/23 12:49
どうしても書かずには気がすまなかったというのが本音である。
格好の材料が目の前に鎮座ましましていたから。
その昔、まだ学校で英語を勉強させてもらっていた頃、申訳けない話だが授業の方は少々なおざりにして自分の好みにまかせて英語の本を次々と息もつかず読み耽っているうち、
こうして本を読破して行くこと自体は愉快だがどうもこのままでは何だか頼りないと感じ出し、ノートをとることを始めたのであった。
ちょっとした言葉のひねり方にも一々感心して書き留めるという甚だ幼稚な時代であったが、それでも何年か経って戦争がたけなわになり、わたし自身も二度目の軍服を着せられた頃には、
大学ノートで優に20冊、細かい字でびっしり書き入れられていたそれがいよいよ東京、横浜も頻々と空襲を受けるようになって始めて(少々落ち着きすぎて、というより面倒臭かった)
本と資料を地方へ疎開させるべきかなと考え出し、
兵営からその手配を人に頼んだのが昭和20年の春。
発送完了の通知を受けとった10日後に大空襲があり、川崎の操車場にとまったままだった貨車の中で、あわれ、わたしのそれまでの読書のあかしは灰になってしまった。
燃えにくい大学ノートはまだくすぶっていたという。
敗戦、そして生きのびるためのけわしい日々が始まった。
何もかもなくなって却ってさっぱりした感じであった。新規蒔直しの闘志に溢れた毎日だった。商売替えにも絶好の機会であったが、
その才覚にも勇気にもいささかならずかけていたわたしは今までの道辿るほかなかった。
そこでわざわざ英国くんだりまで出掛けて行きほんの買い集め、帰ってから一冊一冊にのめりこむ生活がやっと軌道に乗った。
それから30年の月日が流れ去った。その間折々の興味の移り変りに応じて拾い出された材料がたどたどしいタイプでカードに打たれ、生来の物臭さから未整理のまま段ボールの箱につみこまれて行った。
その束をある日いくつか取出し始めはパラパラ次第にじっくりと読み返しているときだった。
これをこのまま捨ててしまっては可哀想…という気持がきざしたのは。
それが6年前のこと、
そして今この「はしがき」を書いているのがロンドンもヴィクトリヤ駅に近いフラッとの台所(表通りの道路工事の騒音のすさまじさに裏側に避難)というのであるから事の運びは目まぐるしいばかりであった。
そもそもなどと乙に構えるまでもなく、言葉の道は知に棹さすだけでは遅々たるもの、情に流されなければぐんぐん進まない。
感激のないところに目覚ましい進歩はあり得ないからである。
長年の英語教師としての生活を振り返って一番ぞっとするのは大部分の学生諸君のいとも朗かな言語の不感症を丸出しにした顔、顔、顔の重なりである。
言葉の持つ妖しい魔力など恬として感じない目付きである。半年一年と懸命に説いても、こちらの頭の悪いせいか相手のほうか、
またはその双方相俟ってか、興味を示しだすのはごく少数、あとの連中はどうしてそんなつまらぬことにむきになるのかと怪訝な表情というのが来る年も来る年もの悲しい図会であった。
英語という言葉の修練を通じて深く考え細かく感じとる習慣をつけさせようと意気込んでも仲々報われるものではない。
英語教師をやったことのある人なら誰も知っていることであるが、禍根は外国語学習の態度そのものに宿っているのである。
つまり英語を味わって読むなどということは始めから念頭になく、いかに日本語に引き直しそれからおもむろに「意味」を察するかに全面的な努力が傾けられるのである。
返り読みという言語的曲芸が終始行なわれる。これは明治以来根強く命脈を保って来た牢固して抜き難い頑疾である。
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