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NO.10434648

高野悦子さんのこと

0 名前:名無しさん:2004/07/13 12:15
を知ってる人はいる?
もう忘れちゃっているか、携帯を覗くことしか知らない今の学生
には関心ないと思うけど、昔、学園闘争で大学が揺れていた頃は
皆、国や大学、将来、恋愛、仕事、勉強のことを真剣に考えていた
時期があったのだが、、、
1 名前:名無しさん:2004/07/13 12:19
そうだな、立命は高野と奈良本史学を抜きにしては語れないよな
2 名前:名無しさん:2004/07/14 07:44
昔、戦後があったなぁ。皆、貧乏だったけど、心は豊かだった。
昨日よりは今日、今日よりは明日夢みて皆、一生懸命だった。
3 名前:名無しさん:2004/09/20 08:20
旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックを背負い
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた
一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのするその煙を
古木よおまえは何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう

衣類を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

(高野悦子「二十歳の原点」)
4 名前:名無しさん:2004/10/01 14:58
詩の後半部分にある「原始林を暗やみが・・・」以降は
高野悦子の父・三郎氏が後で付け加えたものらしい。
読解力のある者には容易に分かるはず。
父・三郎氏は文才があって、かなりのやり手で通っていた
ことはつとに有名。栃木県庁勤務後は、那須野町長。
5 名前:名無しさん:2004/10/01 16:32
意味不明
6 名前:http://www.taizen.net/:2004/10/01 20:24
http://www.taizen.net/
http://www.taizen.net/koumuin/
http://www.taizen.net/koumuin/o-kushon/
http://www.taizen.net/
http://www.taizen.net/koumuin/
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http://www.taizen.net/
7 名前:名無しさん:2004/10/02 08:44
>>4
高野さんがノートに書いた「旅に出よう」のオリジナル版
http://www5.plala.or.jp/ginnga2000/47.jpg
http://www5.plala.or.jp/ginnga2000/48.jpg
http://www5.plala.or.jp/ginnga2000/49.jpg

これを見る限りでは、手が加えられたと思われるのは詩の後半部分ではなく、
むしろ前半部分(もっとも前半部分はノートの前ベージに書かれていて、
ここには写っていない可能性もあるが)。少なくとも「原始林を暗やみが…」
以降はオリジナル版の中に存在する。あと、興味深いのは新潮文庫版にある
一見意味不明の「中天より冷風を…」は、オリジナル版では「快よい冷風を…」
と、よりわかりやすい表現が使われている点。高野さんの手書き文字を高野父か
編集者が誤読した(あるいは意識的に変えた)と思われる。
8 名前:名無しさん:2004/10/02 09:21
現役の学生で、高野悦子さんも「二十歳の原点」も知らない人は、
↓のサイトで彼女の経歴、彼女が書いた日記の概要等がわかる
http://www12.ocn.ne.jp/~chi0010/etuko.htm

新潮文庫の「二十歳の原点」の内容紹介
「独りであること、未熟であることを認識の基点に、青春を駆けぬけていった
一女子大生の愛と死のノート。学園紛争の嵐の中で、自己を確立しようと
格闘しながらも、理想を砕かれ、愛に破れ、予期せぬうちにキャンパスの
孤独者となり、自ら生命を絶っていった痛切な魂の証言。」

>>3の詩は彼女がわずか20歳と6ヶ月で鉄道自殺する直前、日記の最後の
ページに書いたもの。この透き通るような透明感と哀しさを併せ持つ
一篇はいわば彼女の絶筆である。

「二十歳の原点」は今でも新潮文庫で入手可能なので、現役大学生にも
ぜひ読んでもらいたい。彼女の生き様を肯定するにしても、否定するにしても、
きっと何か考えさせられるものがあるはず。
9 名前:名無しさん:2004/10/07 13:07
9さんへ
よくぞ、いいことを書いてくれましたね。
私も「二十歳の原点」は愛読書のひとつとしています。四人囃子によるオリジ
ナル音楽CDも持っています。高野悦子さんの直筆を見る機会を与えてくださっ
たことは特に感謝します。
なんだか、私の書く字癖と似ているようで感激しています。

キャンパスでも携帯覗き、授業での私語、マナーの悪さを見るにつけ、現代学生の
余りの子供っぽさに憤慨しているのは、私だけではないでしょうね。
10 名前:名無しさん:2005/05/04 10:37
>>3の「旅に出よう」は何度読んで胸にこみあげてくるものがある。
彼女が自ら自分の人生に訣別する直前にこれを書いたことを思うと
この詩はあまりにも美しく、そして哀しい…
11 名前:名無しさん:2005/05/10 06:26
二十歳の原点読みましたよ
そこからはあの時代特有の空気感、ありがちな思春期の自己葛藤…そういう思いを学生運動にぶつけたのかな。
当時の人は彼女を美化し過ぎだと思う。
12 名前:名無しさん:2005/05/10 19:14
あそ
13 名前:名無しさん:2005/05/14 16:48
連休中暇だったので古本屋で単個本150で買って読んだ。
心地よい重さがいい。世代的ズレもあったが共感するところも多かった。
真正面からぶつかっていこうとする純心性に頭がぐらついた。
重さがかっこよくない時代に生きて損してる気がした。
京大の諸君が少しうらやましい。落ちたもんだから・・・
14 名前:名無しさん:2005/07/02 11:34
私も昔読みました。
が、何?
要するに男とやってしまってなんだか堕ちてしまった。
で、自殺。
それなりに真剣に悩みはしたのだろうけれど、自宅生で、品行方正な生活をしていた自分には理解できずに読み終えてしまった。
彼女は背は小さいけれど美人でしたね。
だから写真とともに話題になったのでは?
最初スレタイを見て、岩波ホールの支配人かと思いましたよ。
あれから何十年も経ったのですね・・・・
15  名前:投稿者により削除されました
16 名前:名無しさん:2005/07/03 04:59
↑↑コンピューターウイルス
17 名前:名無しさん:2005/07/03 10:29
15は馬鹿か? あの日記は誰もが感じるであろう不満、社会や自分に対する憤り
今にも通じることが書いてあったと思うが。
品行方正に生きてきただ?
何も感じない不感症の人間としていきてきただけじゃねーの?
すくなくともおまえは品行方正じゃねーよ
18 名前:名無しさん:2005/07/07 16:32
ごめんなさい。
ちょっと世代が違うみたいで、そこまで読みこなせませんでした。
そのように仰る紛争の世代(?)の方から見て、今の学生はどのように見えますか?
19 名前:名無しさん:2005/07/09 06:44
きついことばを使いこちらこそすみません
私も学生で自分のまわりの学生しか見てないのですが、周りや流行から外れた行動を
とるものに対して攻撃をする人が多いです。
何に感銘を受け何をしたいと思うかは本人の自由なのに。
そういうことを考えると先の私の言動も同じだったと思います。
本当にすみません。すごく好きな本だったもので
  読んでみてどう思うかは本人の自由ですからね。
話を元に戻すと今の学生を支配しているのは流行だと思います。それに乗らない者はマイノリティーとして攻撃する。
自分の意思を出し、異常者扱いされるのはいやだから意思を殺し溶け込む。
でもこれは昔もそうだったのではないかな?と思います
高野さんもそんな自分がいやだったと思うし、学生運動に参加するのは自分の意思なのか考え、悩み、勉強していたのだと思います
それは今とは違い学生運動が盛んだったから つまりはやっていたから
他人に対し嫌われないよう自分を装い、そのため自分が嫌いになり、変えたいと思い、悩み苦しむ。自分ひとりで。

一人であること、未熟であること  それについて高野さんのように純粋に考える姿勢は今の学生には減ってきているのでは?と思います。
抵抗なく周りに意見を合わせそのことに対し変だと思わない不感症の人間になっていく
これが今の学生(狭い範囲ですが)にたいして私がおもうことです
20 名前:名無しさん:2005/10/15 09:43
確かに、20のいうように今も昔も変わらない。人との関係性ばかり
気にする社会は続いてると思う。昔が学生運動という関係でつながってた様に
・・・。ではなぜ、人との関係性を気にするのか?寂しいからである。
人は常に寂しいものである。これを受け入れられない人たちが関係性を守るため
加わらないものを攻撃する。寂しいって暗いイメージだけど。自分と対面する機会であると思う。
高野さんはそんな寂しいなかで自分と向き合ってきたのだと思う。
21 名前:名無しさん:2006/06/22 07:58
それにしてもこの本を読むと、いい悪いはべつにしても高野さんの時代の20歳の大学生と
現在の20歳の大学生の思考様式、言動のギャップに唖然とするものがある。
あんな時代が日本にあったこと自体、今となっては信じがたい。
22 名前:名無しさん:2006/06/22 08:02
あるブログから無断転載 その1


<< 作成日時 : 2005/09/16 23:17 >>

 高野悦子さんのことを色々研究しておられる方が多い。
その方々からメールやコメントをいただいた。まだ知っていることがあったら教えて欲しいと。

 私は立命館大学の出身。彼女とは学部が違うけれど同じ学年だ。
そして、偶然同じホテルのビヤガーデンでたまたまアルバイトをしていた。アルバイトの期間は
それほど長くなかったし、個人的な会話もそんなにしていない。
だから、記憶もおぼろげになりつつある今、あまり書くこともないのだけれど、少しでもどなた
かの参考になればと思って思いつくままにこれを書く。
彼女が亡くなったという電話を最初に受け取ったのは、私。(日にちは定かではない。亡くなった
その日だったか 警察からこのような人がアルバイトしているかとの問い合わせがあって、ビヤガ
ーデンの責任者に取り次いだ。電話が終わって、彼の口からみんなに伝えられた。電話はバックル
ームにあって、厨房と皿洗い場を兼ねた場所にあった。時刻は、ビヤガーデンがオープンして間も
なく。
バイトは、社会人の女性が一人、定時制に通う女子高校生一人、他は大学生だった。
男は、立命館、同志社、京都、龍谷、京都産業などで立命館が5人で一番多かった。
女は、上述を除くと京都外語、同志社か同志社女子大、京都女子短大など短大が多かった。立命館
は高野さんだけ。男性も女性もみんなまじめだった。。特に女性は、深窓の令嬢とか良家の子女と
でも言って良いような女性が多かった。京都国際ホテル(当時のシティーホテルといえば、他には
都ホテル、京都ホテルか)のアルバイトと言うことで家族も許してくれたのだろう。きっちりした
採用面接があったのだ。一人は大阪万国博のあるパビリオンのコンパニオンに採用された。

私たち立命館男性3人組は夏休みを信州で過ごすため、途中で辞めている。したがって、辞めた
後の構成がどうなったかはわからない。
当時は冷房があまり普及していなかったので、勉強する学生は信州の学生村に行った。人まねの
好きなgakkokamenももちろん行った。但し、あんまり涼しいので昼も夜もぐっすり眠った。

 女性の制服はオレンジ色のワンピースに白いエプロン。
男性は濃いブルーのシャツに黒いズボン。私たちは学生ズボンで代用した。
バックルームで男性が交代で皿洗い。
また、そこには交代でコックが詰めていた。
大きなジャーにスパゲッティーが入っていた。生ハムもあらかじめ皿に盛ってメインの厨房から運
び込まれていた。
23 名前:名無しさん:2006/06/22 08:05
>>22 の続き

(次の<< >>は一緒にバイトした立命館男性三人組の一人Aの話)

<< 自殺する直前のバイトの日、彼女は夜8時10分前ごろ、皿洗い場前のエレベータから出てき
た。バイトは夕方から始まり、いつも最初に出会ったときは「おはよう。」と挨拶した。皿洗いを
していた私はその日まだ挨拶をした記憶がなかったので、「今日、初めからいた?」と聞いたら、
「ううん。」と答えて中に入っていった。そのときの様子が一人でうつむきかげんで、どことなく
元気がなさそうだったのが気になったが、普段から、ちょっと話をするだけだったので、そのまま
、話もしなかった。次の日、自殺をしたと聞き、そうだったのかと思った。

ビヤガーデンではレコードを流していた。シャンソンの「枯葉」の入っているLPと歌謡曲の
「ブルーライト横浜」が入っているLP、それと「京都神戸横浜」の入っているLPの3枚を気づ
いた者が流していた。私は歌謡曲の二枚が好きで交互にかけていた。彼女は「枯葉」のLPを流し
た。彼女に、「夏のビヤガーデンで秋の寂しい曲を流すのは場所に合わないから、『枯葉』はかけ
ないほうが良い。」と言った。しかし彼女は機会があれば、そのLPをかけていた。>>

彼女は口数が少なくいつもおとなしかった。あまりみんなと馴染むことはなかった。
私たちも彼女が学生運動に関わっていることを知っていて、何となく近寄りがたかった。

 アルバイトの賃金は時給150円。それに夕食がついた。ご飯とみそ汁と漬け物とおかず。貧乏
学生にとっては大助かりの好条件だった。
 市電は入学時(昭和42年)が15円、昭和47年頃は25円。生協のラーメンが45円、定食
55円というのもあった。入学式の時のこの定食は鯖の塩焼き、ニンジンとダイコンのなます。
式について来た父がえらく気に入っていしまって、毎日これにしろ、と言った。下宿の近くの食堂
は120円の定食。鯖の塩焼き、茶碗蒸しなどがついた。ラーメンが70円だったから仕送りが来
ると100円札二枚を持って行き、定食とラーメンで腹一杯になって帰ってきたものだった。
 当時の立命館は、広小路と衣笠にキャンパスがあった。
総長は末川博氏。高名な民法学者だった。岩波書店の六法全書を編集された。
大学の運営に学生も参加させる(全学協議会)体制を構築し、立命館民主主義と呼ばれた。
学生との団交でもほほえみを絶やさず、学生を慈しみをもって見ていた
24 名前:名無しさん:2006/11/30 07:22
>>23のつづき

 広小路には、法学部、文学部、少し離れて産業社会学部があった。
 本にもある中川会館は広小路キャンパスの中にあった。教室はなくて、事務、管理部門が入って
いた。文字通り猫の額ほどのキャンパスだったが、かえっていいこともあった。
体育は京都御所の中のグランドでソフトボールをやったし、バレーボールは鴨川の土手のコートだ
った。休み時間にはキャンパスの直ぐ西隣にある京都御所の芝生で休んだ。
通りを隔てて向には京都府立医科大学があった。フォーク・クルセダーズの北山修氏が白衣で歩い
ている姿をたまに見かけた。
当時、立命館の日本史学は、立命館史学と呼ばれ異彩を放っていた。
日本史学会の重鎮林屋辰三郎、北山茂夫、奈良本辰也といったそうそうたる教授ががいた。哲学で
は梅原猛教授。二十歳の原点文庫版p20の北山さんは北山茂夫教授。相前後して林屋、奈良本、
梅原の各教授が辞任した。
同書p106に「立命みたいな三流大学うんぬん」と言われたとあるが、当時は「立ちゃん、同や
ん」「結婚するなら京大生、恋愛するなら同大生、用心棒なら立命館」なんて言われていたらしい
。(らしいと言うのは面と向かって言う人がいなかったから)。
しかし、一部の京都人がからかう割には、純粋な京都出身者は少なかった。高野さん同様、地方
のいわゆる名門校、進学校の出身者が多かったし、国立大学を2浪3浪したすえに入学する者もい
た。当時の立命館の授業料は、私立大学では特別な例を除いておそらく一番安かったはず。だから、
アルバイトと奨学金だけで勉学に励んだ人、一度就職してお金を貯めて入学してきた人など経済的
にあまり恵まれない人も多かった。そんな中から司法試験に合格する人がいた。
授業料の安い割に、講師陣は充実していた。自前の教授陣が多くない分、他大学から臨時講師と
して招聘していたのだ。なんと京大のあの森毅先生が一般教養数学の講師だった。
今、大学コンソーシアム京都が行っていることを立命館の学生やOBはその頃からやっていた。
京大の講義にもぐったり、京大の教授に頼みに行ってゼミに入れてもらったり。講義では京大、
阪大、名古屋大などのすごい先生が教鞭を執っていた。
学生を大事にしてくれた大学だったと今でも思っている。

彼女が大学のキャンパスでジグザグデモをしている姿を見たことがある。色白でメリハリのある
顔立ちの彼女は、スポットライトでも当たったかのように目立ってはっきりと見えた。
何を訴えていたのだろうか。
彼女は自殺するようには見えなかった。
彼女を最後に見たその夜、うまそうにロングピースをくゆらし、穏やかにほほえみを浮かべていた。
上記Aにも確認したが、彼女がたばこを吸っていたのは、自殺の前夜。仕事が終わって一休みした時だ。
あの彼女の姿を見て、いったい誰が自殺すると思っただろうか。
もし、そのような兆候が見られたら、バイト仲間には男も女も人のいい連中が一杯いたから、お節
介と言われようとなんらかの手を打ったに違いない。
その後の彼女の行動はわからない。
どんな理由で自殺するかなんて誰にもわからない。
25 名前:中川泰秀 ◆vkWCNtzY:2007/02/02 20:28
高野悦子さん自身、せめて卒業後に自殺したらよかったのではないのか?
と言う人もいるだろうが、わざと除籍になって近じか郷里に帰るような
印象を受ける。
26 名前:名無しさん:2007/02/03 12:12
立命館生だが今まで高野悦子という名前は知らなかった。
このスレッドをきっかけにして読んでみました。

現代の学生、というか若者は社会に対して比較的あきらめている人が多いのではないかと思います。
うまく生きている振りをしているだけではないのかと思います。

自分のなかに沈殿してくる思いをどう発散するか…
大学っていうのはそういうのをじっくり考える場所でもあると思う。
27 名前:名無しさん:2007/02/03 14:03
生きてる意味がない別に死んでもいいやという立命女子多い気がする。
結構可愛い子が言う。そういう気分にさせる大学の雰囲気てある。
他大学とかもっと生命力旺盛に生きてる女子学生もいる。
中下位男子学生が元気だよな?上位男子も生きてる意味ないと言うし。
28 名前:名無しさん:2007/02/03 16:23
表面的にうまく生きている感じがする「いまどき」の学生の方が、無気力という印象を受ける気がします。

浪人してとか、地方から出てきて、といった人たちの方が、男女を問わず、底力があるような気がします。

そういう学生は、活動的なので少々成績が悪いですが…
29 名前:名無しさん:2007/02/04 01:00
>>27
お前本当に立命の女見たことあるか?元気よすぎだぞw
産社とかリア充多すぎだし。工作員はきえなさいw
30 名前:名無しさん:2007/06/20 01:54
表面元気だが偽装
31 名前:名無しさん:2007/06/20 09:23
高野さんは、もうこの世にはいませんが、私達の心をひきつける、永遠の存在です。今年、私の子供も立命館に入学しました。
32 名前:名無しさん:2007/06/20 16:54
>今年、私の子供も立命館に入学しました。
左翼活動に邁進し、生きている意味がないと、自らの命(他人の命)を粗末にするのでしょうか?
悪の魅力、退廃美、オウム真理教や、金日正、北朝鮮、に、共通する魅力ですよね。
33 名前:名無しさん:2007/06/22 13:24
退廃の魅力が古都にはあります。巣食い、自らを滅ぼし、他人を滅ぼす。
壁画に巣食い蝕む黴のような美がある。
しかし若い人には健康的な青春時代を送ってもらいたいものです。
34 名前:名無しさん:2011/01/16 10:49
32>>ずっと昔,高野悦子「二十歳の原点」が出版されたとき,内容を知らずに原口統三の「二十歳のエチュード」に題名が随分にているなと思った。
しかし,原口の入水自殺と高野の列車自殺はずいぶん違う。高野の自殺には共感出来ない。美しくない。惨めである。
同じ「立命館」中学で学んだ中原中也の退廃とも全っく違っている。
35 名前:民青は出しゃばるな:2011/01/16 10:56
共産党は時代おくれだ、世の中はかなりさ気に動いている
36 名前:左巻きの教官や民青は北朝鮮に帰ろ!!:2011/07/15 09:03
世界は大きく変動している、その中で資源のない日本は知的資源を開発し金を稼ぎ医療福祉年金環境介護教育に力を入れないといけない 寝言の左派は北へ帰れ!!
37 名前:YUME-KB:真摯な青春:2012/12/22 14:33
悦子はなにも学生運動家のマドンナ的な象徴ではない。
彼女は時代に真直ぐに取り組み、自分の生きる道、未来を見詰めながら、一生
懸命に生きていた。大学の講義、学生運動、自立の為のアルバイト等に青春に
没頭しながらも、熱く又冷めた目で社会を自分を分析、見詰め存在を共有を探
り続けていた。京都での一人暮らしで無二の友人という存在が周りでは伺えず
に自己肯定感が薄れたときに真面目に生きようとして星になったのではと稚推
します。
20歳になれば、その自分をみとめ、自分なりに一生懸命、全力を尽くして生
きていきたい。その年相応にーーーこのくだりのフレーズが40数年経過して
も印象にあります。
38  名前:投稿者により削除されました
39 名前:まりか:2012/12/26 21:15
私は彼女が亡くなった、1969.6.24に誕生しました。
死ななくても良かったのに。
子供がたくさんいる、幸せなお母ちゃんになれば良かったのに。
40 名前:名無しさん:2013/09/13 14:38
自殺はアカンわ。
41 名前:左から右までいる:2013/09/13 14:38
大衆の縮図が立命館大、資産家から貧乏人までの社会の坩堝、それが立命館、どういきるかで後の人生はかわる、自民党員も結構いる、安心して自己減産を、今や左巻きは周回おくれと歴史と世界が実証している、左巻きは北朝鮮へいきなさい
42  名前:この投稿は削除されました

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