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高野悦子さんのこと

22 名前:名無しさん:2006/06/22 08:02
あるブログから無断転載 その1


<< 作成日時 : 2005/09/16 23:17 >>

 高野悦子さんのことを色々研究しておられる方が多い。
その方々からメールやコメントをいただいた。まだ知っていることがあったら教えて欲しいと。

 私は立命館大学の出身。彼女とは学部が違うけれど同じ学年だ。
そして、偶然同じホテルのビヤガーデンでたまたまアルバイトをしていた。アルバイトの期間は
それほど長くなかったし、個人的な会話もそんなにしていない。
だから、記憶もおぼろげになりつつある今、あまり書くこともないのだけれど、少しでもどなた
かの参考になればと思って思いつくままにこれを書く。
彼女が亡くなったという電話を最初に受け取ったのは、私。(日にちは定かではない。亡くなった
その日だったか 警察からこのような人がアルバイトしているかとの問い合わせがあって、ビヤガ
ーデンの責任者に取り次いだ。電話が終わって、彼の口からみんなに伝えられた。電話はバックル
ームにあって、厨房と皿洗い場を兼ねた場所にあった。時刻は、ビヤガーデンがオープンして間も
なく。
バイトは、社会人の女性が一人、定時制に通う女子高校生一人、他は大学生だった。
男は、立命館、同志社、京都、龍谷、京都産業などで立命館が5人で一番多かった。
女は、上述を除くと京都外語、同志社か同志社女子大、京都女子短大など短大が多かった。立命館
は高野さんだけ。男性も女性もみんなまじめだった。。特に女性は、深窓の令嬢とか良家の子女と
でも言って良いような女性が多かった。京都国際ホテル(当時のシティーホテルといえば、他には
都ホテル、京都ホテルか)のアルバイトと言うことで家族も許してくれたのだろう。きっちりした
採用面接があったのだ。一人は大阪万国博のあるパビリオンのコンパニオンに採用された。

私たち立命館男性3人組は夏休みを信州で過ごすため、途中で辞めている。したがって、辞めた
後の構成がどうなったかはわからない。
当時は冷房があまり普及していなかったので、勉強する学生は信州の学生村に行った。人まねの
好きなgakkokamenももちろん行った。但し、あんまり涼しいので昼も夜もぐっすり眠った。

 女性の制服はオレンジ色のワンピースに白いエプロン。
男性は濃いブルーのシャツに黒いズボン。私たちは学生ズボンで代用した。
バックルームで男性が交代で皿洗い。
また、そこには交代でコックが詰めていた。
大きなジャーにスパゲッティーが入っていた。生ハムもあらかじめ皿に盛ってメインの厨房から運
び込まれていた。
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