理系の人って語学オンチ多くない?
-
0
名前:
名無しの院生さん
:2004/01/27 00:39
-
知人の話。
指導教授の推..
-
54
名前:
3倍の3分の1
:2008/07/23 10:59
-
>>0のスレ内容は置いておくとして・・・。
理系の院生は、素直でストレートないい文章を書く人が多いですね。文系も、
社会学や史学の人は、変に凝った文章でなく、すっと読めて、構成がしっかり
キチッとした理解しやすい英語の文章を書く傾向があります。
逆に、知っている文学研究の人の論文読んだときは、美文というか、流れる
ような綺麗な文章でした。難しい語句が多い(笑)。複数の人の読みましたが、
修辞句、修辞文が多い傾向にあると思います。
他の人も暗に指摘していますが、難しい語句とは別に、当然専門用語という
ものがあります。英語出来るから、英語の専門書何でも読めるというわけでは
ありません。英語は一般的な水準ではできる。でも、生物学専門の人が歴史学や
経済学の論文読んでも、何となく意味はわかってもしっかりとした理解ができる
とは限りません。たった一つのワードでも、その背景(研究蓄積)は複雑ですから。
あと前述したように、結構研究分野によって、文章の書き方の癖あると思うのですが、
どうでしょうね。他の人の意見も求む。
-
55
名前:
名無しさん
:2010/06/20 08:47
-
理系英語って専門用語多いじゃない?あれ勉強するとなると大変だよね。
むしろ理系の人は読み書きできる人が多いが会話はダメって人が多いような気がします。
英語の先生曰く、アメリカで暮らしていくのならば中学3年程度の英語の知識を自由自在に使いこなせればおkとのことです。
素人の意見ですいません。
-
56
名前:
青谷正妥(あおたにまさやす)
:2010/09/25 10:37
-
東大や京大の医学部(全員)や理学部(上の三分の一)は絶対に文・理系だと思います。
現に、受験時代の偏差値は英語も国語も文系学部(東大・京大の)に勝ちます。
要するに、理系ではなく勉強系なのです。
僕自身、京大理学部卒で博士は数学(U.C. Berkeley)ですが、TOEIC 990,
TOEFL CBT 300, TOEFL iBT 120で、全部満点です。また、高校時代素点ではなく偏差値
であれば、一番高かったのは国語でした。
僕が特殊なのではなく、東大・京大の現役理系教員は普通に文系が出来ます。
理系にせよ文系にせよ、それしか出来ない人は既に頭の機能に問題があると
思います。だからと言って人間のカスだとか、そんな事は一言も言っていないので
御間違えなく。飽くまでも勉強と英語力を含む言語能力に言及しているだけです。
京都大学国際交流センター 准教授
青谷正妥(あおたにまさやす)♂
http://aoitani.net/
-
57
名前:
名無しさん
:2012/03/04 07:59
-
語学ウンチ
-
58
名前:
理系音痴の文系です
:2012/03/04 07:59
-
文系・理系といっても本当は割り切れるものではありませんが、大体、世間で言われている文系と理系の違いは、語弊を恐れずに乱暴に言ってしまえば、解釈する能力と解析(計算)する能力に相当するのだと思います。
私の感じるところを率直に言ってしまえば、理系の人の方が頭の回転が速いと思います。
かく言う私は、文系私大卒です。数学、特に頭の中で数字や代数を置き換えたり計算したりする能力が、自分でもいやになるくらい低劣で、働き始めてからはエクセルだのみでした。
最近になって、自分が自律神経失調のまま今まで来たのだということに気づき、治療しながらリハビリ代わりに行列計算などをしていますが、確かに前よりかはだいぶマシになっています。
私の例を述べましたが、文系の普通の人の場合、自分自身のせいか他人のせいかはともかく、理数系の能力の訓練を十分に受けずに成人・大学生になってしまったのではないでしょうか。
こう言っては悪いですが、レベルの低い文系大学生は、計算・解析能力はともかく、我流の解釈する能力で、なんとか大学の授業を乗り切っているのではないでしょうか。それでも卒業できてしまうところが日本の大学ですから。
しかし最初にも言ったように、文系にも経済学など数学を抜きに語れない分野があるので、もぐりの学生はこういった分野はかなりしんどいのではないでしょうか。
もしくは、数学が必要な科目は何とか回避しながら卒業単位を集めているのではないでしょうか。逆に理系の人は、解釈する能力がないわけではないので、本を読んだり講義を聴いたりするだけで理解が深まるはずです。
あと、解釈について関係あるとすれば、感情の豊かさつまり情操教育の問題ですが、これは理系だから、という問題ではないでしょう。
あり得るとすれば、理系だからそういった分野の教育ばかり受けてきて、他は不足しがちということなのかもしれません。
外国語については、ぶっちゃけた話、たとえば英語の読み書き会話ができる人は、文系でもほんの一握りでしょう。
中・高の英語の授業は、江戸明治の漢文教育と根底は変わらないと思います。漢文の学識豊かだと言って、明清時代の中国がペラペラと言う訳ではありませんから。
つまり、日本人の読み書きそろばん能力は、個人によって優劣あれ、それだけ限定的になってしまっているのだと思われます。
教育・訓練の方法論さえ確立していれば、両方できていたって、(努力家で秀才ではあっても)天才や鬼才呼ばわりされるほどではないのだろうと思います。
あと、これは本で読んだ話であって、私の考えではありませんがそのまま述べておくと、数学的な能力は、人間の身体・空間把握能力と深いかかわりがあるのだそうです。
なので意外なようですが、数学と音楽と体育とは深いところでつながりやかかわりがある分野なのだそうです。
だから数学が苦手で運動神経が悪いという自覚がある人は、私のように身体から治療やリハビリを施したほうがいいかも?
|