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偉大なるOB 古賀政男(国民栄誉賞受賞者)

0 名前:京王電鉄:2004/09/28 06:50
昭和53年7月25日炎暑の中、日本の歌謡界に燦然と輝く金字塔を残
し、巨匠・古賀政男は逝った。彼は明治37年福岡県三潴郡田口村
に父・善太郎、母・セツを両親として生まれた。彼は六男二女の
五男であった。

彼が生まれた当時は日露戦争の勃発した年でもあり、世の中は決
して平穏な時代ではなかった。いや、むしろ明治期もっとも混沌
とした時代であったろう。それゆえに古賀政男の幼年期も波乱に
満ちたものだった。父の死、母の苦労、兄を頼っての渡鮮、何一
つとっても明るい思い出はなかった。失意と焦燥の日々を送った
こともあるはずである。

しかし、そんな苦悩の多い彼の心を支えたものが二つある。その
一つは早く逝った父のかわり、彼らの幼い子供たちを細腕で育て
たくれた母への愛である。幸せ薄い忍苦の中でも限りない愛情を
注いでくれた母への愛慕の念は、人間・古賀政男の形成にとって
実に大きな比重を占めている。

また、もう一つ彼の心の糧になったものは音楽への情熱である。

仁川時代、親友から大正琴をプレゼントされ、四兄・久次郎より
マンドリンを贈られその音色に陶酔した。このマンドリンとの出
会いが、後に明治大学マンドリン倶楽部の創設、演奏活動へとつ
ながり、そして永遠の作曲家・古賀政男へと飛躍してゆくのであ
る。

彼の作曲した作品は3000曲とも4000曲ともいわれ、普段私たちが
古賀メロディとして親しんでいるのはその内のほんの一部に過ぎ
ない。しかし、その一曲一曲が全作品を代表するが如き密度の高
い作品となって私たちの胸を打つ。

ある人は、「寂しさ」と「哀しさ」が古賀メロディを支える要素
であるという。もちろん、それも大きな要素であることは否定で
きない。しかし、古賀メロディには「寂しさ」「哀しさ」を越え
る「明るさ」を感じさせるエッセンスが入っている。それゆえに、
どんな哀愁を帯びた曲でも暗さなど微塵も感じられない。

この見事な調和が、凛としたメロディと独特の格調を生み出し、
私たち日本人の心の琴線に触れる。

古賀政男が全霊を傾けて創り上げたメロディの数々は日本人の心
に万感の思いを宿しながら永遠に歌い継がれてゆくはずである。
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