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獨協大学をバカにしてる人へ
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398 名前:匿名さん:2004/07/04 16:33
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30年前の外国語仏語卒です。入学前から、あるいは他大学生が偏差値を
振り回してバカだ利口だを罵り合ってるのは意味不明でついていけませんが、
私の在籍当時は、単にランクがどうこうを超えた一種独特のスクールカラーが
あったことは確かです。
「入るは易し出るは難し」等、新しい理念の大学であることを謳い文句にし、
校舎やキャンパスもユニークで綺麗であったために、ごく純粋に憧れてやって
きた学生が多かったです。
特に外国語学部は、英語はそこそこできるが他の科目での受験競争に辟易したり、
実際外国語を学びたくて来たという人が多く、私の周囲には東外大落ちで来た人、
青山や立教を蹴って来た人、地方から一本狙いで来た人が何人もいました。
なにせ18、9歳の選択ですから、その選択が正しかったかどうかはわかりませんし、
その後の人生も多くは知りません。
ですが今風の偏差値による評価より、イメージと思い入れで選んで来た人が少なく
なかったようでした。
獨協の学校名すらあまり世間に知られてなかった時代です。
ちなみに私は実は早稲田を漠然と狙っていて、模試のデータからするとイケるだろう
という程度の位置にいましたが、外国語が好きだったことでふと知った獨協へ入試案内を
取りにはるばる行き、キャンパスの雰囲気を見て「ここへ来たい!」と思ってしまった
一人でした。
外国語学部であり文学部と厳密には違うので、その専門性に賭けて来た人も多かったの
ですが、外国語は単位数に比して科目数で他学部の一般科目のほぼ倍あり、明けても
暮れてもフランス語の授業で、高校並みに30人ほどのクラスで出席は必ずとられるし、
二科目落とすと二年生に進級できませんから大変は大変でした。
我々なりに「経法のやつらはラクだよなあ」とか言ってました。
(現在のカリキュラム、制度は知りません)
当時の教授陣は悪くなかったと思います。
その道で著名な学者、好きだった小説の翻訳者だった人などもわりといました。
今も憶えている話ですが、クラス担任とゼミの教授はそれぞれマーチ某二大学で
仏語講師のバイトしてました。
そして奇しくも両者が私らに文法や読解の説明だかをしてた際、「あのひとたち
(某他大学生の意)、同じ教科書でいくら教えてもここができないのよねえー・・・」
なんてボヤいてたことです。
古き良き時代の思い出かな・・・ただ、頭が悪かったか厳しかったか定かじゃないですが、
卒業はそれなりにラクでなかったような。
仏語には毎年200人程度が入学し、卒業時は毎年120人程度だったと記憶しています。
女の子がすごく多くて、かなり可愛い方じゃなかったかなあ。
今はレベルはどうですか?(現役獨大生の方、教えてください)
偶然、今30代後半の仏語科の後輩が友人にいるのですが彼曰く、校風としては彼の頃も
似たものだったとのこと。
受験に関係ない、オッサンの思い出話で失礼しました。