NO.10440400
後期廃止後
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5 名前:エリート街道さん ◆6z00sOUM:2005/12/11 09:12
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B説:否定説
理由:
?そもそも3年の10月ほどで合格が確定すると、一般に合格者は遊び呆けるので半年ほどのブランクが生じる。すると入学時の学力に問題が生じやすく、大学で授業を展開する際支障をきたす恐れがある。
(註:なお、本当に学力は一般>推薦という傾向があるかのソースはよく見てないが、
一応差があることを前提としている。また、いまどきは一般入学者を加えても授業が成り立たないという声を聞くが、一応程度問題として、推薦者は問題があると考える)
?年内早々に合格する者と2月3月まで勉強し続けなければならない者との間には、不安感の有無という心情面に雲泥の差が生じる。また、物理的に生活の自由度にも同様の差が生じる。数週間であれば受忍限度であろうが、
数ヶ月もこのような差が続くのは著しく均衡を失する。
?そもそも推薦は、受験という大きな困難に正面からぶつからずそれを回避する、いわば敵前逃亡的な制度であり、卑怯である。
?困難を乗り越える経験をしないことで逃げ癖がつく。
批判:
?(?に対し)大学側の工夫により、合格者の基礎学力を維持することは可能である。
?(?に対し)すべての人間が同日に合格を決めることはありえないので、必ず世の中には不均衡はつき物である。いやなら他の道に進めばよい。
?(?に対し)ある意味、このような制度も世渡りのテクニックの一環とも言え、決して卑怯ではない。
?(?に対し)受験以外でも、そのような経験を得られる場はある。
反論:
?(批判?に対し)そのような工夫の必要性は、特殊な発想ではないから大学側も感じているはずである。しかし実際かかる措置が行われている所はごく少数である。コストの都合でできないとしても、事実上学力低下を容認していることになる。
一方で学力低下を嘆き一方で対策を講じないのは矛盾している。
すなわち、初めからそのような制度をとるべきではないのである。
?(批判?に対し)世渡りや要領ですべてを片付けるなら、どんなずるいこともこの理論で容認される。そのような原理に逃げるのは不当である。
C説:一部容認説
結論:合格後の勉強等により、一般合格者と同等にみなせる程度の学力を備えた者の推薦合格は肯定する。
理由:
?たとえ10月に合格してしまっても、受験生と同様に勉強し学力を身につけていれば入学後実質的に問題が生じることはない。
?このような合格者もいる以上、すべての推薦者を否定するのは極端すぎる。
批判:
?(?に対し)たとえ学力に問題がなくても、そもそも推薦制度を使ったこと自体に問題がある。この説はB説理由の?は解決できるが、結局理由?~?は解決できない。
(すなわち、合格が確定してから勉強するのと受かるか未知数のまま勉強するのは、心理的に全然違う。
また、さすがに一般受験生と同質同量の勉強をすることは考えにくいので、生活自由度も段違い)
?現実問題として、合格後まで勉強する生徒は極めてまれであり、そのようなレアケースを持ち出していたらきりがなくなる。その合格者との関係で個別に酌量するのはかまわないが、一般論を否定できるほどの論拠ではない。