【ミルクカフェ掲示板TOPページ】   ■掲示板に戻る■   最後のレス   1-   最新30  

NO.10423049

中大駿河台回帰

881 名前:匿名さん:2005/08/17 13:47
881>泣く泣く手放した、っていうのは、本当は中大としては、多摩キャンパスをつくるからといって、
駿河台本部を手放す気など毛頭無く、都内の別な保有地の一部を売れば、多摩の敷地すべてが買える予定だった。
上のレスにもあったが、それが当時の土地行政の方針転換によって、都心の一等地を高く売るという当初の予定が
不可能となったので、全て売らないと多摩の用地が買えないことになってしまったんだ(しかも大借金まで残る)。
ここで疑問に思うとしたら、だったら当初の売却予定地だけを売った時点で、それ以上に多摩の土地が買えないなら、
中途でも予定を変更して、移転取り止めにすれば良かったんじゃないのか、ということになるんだが、
この時、多摩の土地を売ってくれたのは地元住民たちで、大学誘致のため好意で安く売ってもらっていたため(もともと安いのだが)、
途中で止めるとは言えなかったらしい。しかも再度の地元側からの確認に対しても、中大側は、必ず移転いたします!
と、重ねて断言してしまったのだ。そういうわけで後には引けず、泣く泣く駿河台を全て売り払って多摩全面移転の腹を決めた、というわけ。
なお、そもそも移転を考えなければならなくなった原因は、学生数に対して校地が狭いと認可基準を満たさない、
というものだったといわれるが、これを理由に移転させようとしたことと、移転検討時に土地を高く売れなくしたことの両方を
東大卒官僚の策謀だと邪推する人もいたりする。東大と互角の私学など許せないからだそう。
個人的には、それでも移転を取り止める段階はいくつもあったと思える。ふつうに、そのままにしていれば、
古い校舎や図書館、大講堂なども、他大学並にある程度そのまま残されていたことだろう。残念でした。
新着レスの表示
スレッドを見る(958レス)  ■掲示板に戻る■