NO.10415652
弁護士になりたい!!
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302 名前:アドルフ:2006/07/16 20:22
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つづき
>理系の学問のように絶対的なものとはなりえない。
前述の両者は次元の異なる学問だ。
にもかかわらず、理系(医学者系)が仮に医学における絶対性に類似するものを法学に求めるのは、それ自体ナンセンスだ。
>学問の定義である、法則的、理論的、または体系的な考え方が法学に関してはあてはまらず、
あなた(医学者系)は、理系(←一般の理系)でいうところの法則的、理論的、体系的という価値基準を法学に求めている。
しかし、前述のとおり、学問の次元が異なる両者において、
法学にも特有の法則性、理論性、体系性があることを知るべきだ。
【感想】
法学への批判の根拠を事実認定から、絶対性法則性統一性などにかえてきたな
しかし、これらの根拠も法学の批判としては的はずれだ。
理系(医学者系)は自らの専攻する分野の価値観で法学に類似するものを求めたとしても、
次元が異なる学問に共通項を見出だす作業自体、意味を成さない。
このたとえが正しいかどうか判断しかねるが、
次元の違うもの、たとえばキリスト教とイスラム教のどちらがより優れているか、を比較するようなもんだ。
ともに一神教の宗教である両者は、それぞれに独自の価値観(道徳心や人々の行為規範など)を形成している。
ともに宗教なのだからといって、優劣を比較すること自体ナンセンスだとわかるとおもう。
学問もおなじ。学問だからといって、優劣を比較すること自体ナンセンスだ。
おっと、医学は人間社会に直接の利益をもたらすのに、宗教なんかに喩えるとはけしからん、という批判は無しで。
それが宗教であろうと、学問であろうと、次元の違う事柄(ともに独自の価値観を形成している)を比べることの無意味さを表したかったのだから。
【補足】
一番最初に述べた、学問は批判されるべきというのは、学問間で優劣を比較するというのでない。
学問は真理の探求であり、多くの批判にさらされることは、真理の発見にとってプラスに働くから、
たとえば法学なら法解釈の問題点を追及され、それについて思考を深めることで、より完成された学問となることができるからだ。