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第三文明研究会について

0 名前:名無しの昭和61年卒:2008/10/29 15:54
私は今年のはま大祭にいって、この研究会の展示の「感想の箱」に手紙を入れようと思った
しかし「浜大祭」で検索するうち、この掲示板をみつけたのでここにかく

私は大学の入学式の日に、第三文明研究会、つまり創価学会にさそわれた
しばらく5年生の先輩と議論したあと、線路の向こう側の先輩の下宿にいきお祈りをした
それまでの人生が幸福だったとも思えないが、新たな悲劇のはじまりだった

私は、横浜市内の、ほとんど無宗教の家にうまれた。祖父母や親戚はキリスト教だったが、父は無宗教
母は幼くしてその父をなくしているが、彼すなわち私の祖父は戒名も位牌もなかった
このような家系にうまれた私は盆も彼岸もやらないで育った。家は新興住宅地で神社の祭りにも参加しなかった
子供のころの私は、本ばかりよんでいるいじめられっこだった。ときどきナイフやのこぎりをふりまわして暴れた。
高校まで公立で宗教教育はなにもうけず、高校でもいじめられた。大人になったら社会に復讐したいと思った
横浜市立大にはいり、そういう復讐心を満足できる団体に出会ったのである
1 名前:名無しの昭和61年卒:2008/10/29 16:12
4月より、先輩の家で朝夕お祈りをして家でもお祈りした
父母は猛反対したが、気にもとめなかった
そのころ父母は半分別居していて、母は実家に帰りっぱなしになることがあった
また妹はそのころでいう「すけばん」「レディース暴走族」になりいつも深夜に帰ってきた
「あのバカの妹」とばかにされたことが非行にはしらせたらしい

結局夏休みに入るときいったん学会は止めた。だがそのあと母は完全にでていってしまい、ほとんど父と二人暮らしになった
2年生になったとき、また学会活動にはいった 正式に本尊をもらい信者になったのは翌年1月だった

やがて就職し他県の寮にはいっても学会活動は続いた。地元の集会には何時も顔をだした
信心を止めたいと思うことは、幾らでもあった。寮の先輩たちにはいじめを受けて殴られたりしたし、横浜の親は依然として猛反対だった
私は、いわゆる花形企業に就職したし今で言う「イケメン」の部類なので女性にももてたが、学会員だとしると皆わかれるのである
かといって創価学会の未婚女性は、集会もほとんど別々、たまに合同でやれば男だらけで、なかなか知り合えなかった

遅まきながら市大の後輩の学会員の女性に告白したがだめになった

就職して5年ほどたったころ学会は大きな転機をむかえた 寺院からの完全独立である(つづく)
2 名前:名無しさん:2008/11/02 03:25
卒業してひさしぶりに大学へ行きました。
正門を入ってすぐ、右側の建物が<祈り>の根拠地ですか。
銀杏の舘とかいったチープな建物でしたが!
3 名前:名無しさん:2008/11/02 13:15
師は新しい信仰者である学生さんたちが
真の魂の救いを必要としていることを
よく知っています

銀杏の舘はイニシエーションの場です
4 名前:名無しさん:2008/11/03 10:19
神の怒りは、真理を彼らの不服従の枷で虜にする人間達の
あらゆる不敬虔と不服従とに対して天から啓示されるのです
5 名前:名無しの昭和61年卒:2008/11/05 13:43
>>3 師って池田大作のことかい
6 名前:名無しさん:2008/11/09 18:34
市大キャラクターの愛称は決まったな

「ダイサクくん」だね

http://www.yokohama-cu.ac.jp/character/name/index.html
7 名前:名無しさん:2008/11/10 16:46
「カイチョウ君」
8 名前:名無しの昭和61年卒:2008/11/12 02:01
平成2年の暮れ、池田がソウコウトウをやめさせられたとのニュースが流れた
歳が明けると、聖教新聞が次第に「げいか様」を批判するようになった
この歳の5月から11月まで、私は会社の研修所にはいり、いままでの個室と違って4人部屋での生活となって学会活動をやめた
11月になって元の寮にかえると、学会の先輩が「阿部にっけん(げいか)をやめさせる署名」をもってやってきた
そのころから聖教新聞には、寺院僧侶たちの悪口がたくさんのるようになった

何年かの月日が流れた
出世もできなかった。結婚もできなかった
いつも池田をほめたたえ 選挙になれば公明を応援し かつては尊敬の対象だった日蓮正宗の僧侶をののしった
金沢八景の街を歩きながら、「日蓮正宗の坊さんはご僧侶とお呼びもうしあげろ」と先輩にいわれたのが嘘みたいだった
9 名前:名無しさん:2008/11/12 15:07
市大キャラクター「カ・イチョウ君」による布教活動がスタートしたようだね!

http://www.yokohama-cu.ac.jp/univ/pr/081106chara_events.html
10 名前:名無しの昭和61年卒:2008/11/12 16:46
池田が学会の会長をやめたのは昭和54年 ぼくは高校で毎日いじめられてたころですよ
11 名前:名無しさん:2008/11/12 17:06
或る宗教の開創または破壊は、
國家の開創または破壊に比べて、
計り知れない程きわだった行為である。
政党についてはなおさらである・・・
故に現実の布教活動は、
以下のように精神的貧困の大きな証明を与えている。
http://www.yokohama-cu.ac.jp/univ/pr/081106chara_events.html
12 名前:名無しの昭和61年卒:2008/11/15 02:33
さて、1990年代も後半になると、私の学会活動も、形式的になっていった
当時の私は、地区リーダーという役職につき、町内の学会員青年の家庭訪問をし、選挙があれば投票依頼をした。一ヶ月に2回ほどは学会会館に詰め、警備にあたっていた。
さらに新聞配達を頼まれたり、新聞をすすめたり、日蓮の教えを勉強したりとの活動があった
集会は週に2,3回はあったし、選挙がはじまれば毎日だった。 2008年の現在でも学会青年部は同じようなことをやっているようだ
出世と結婚ができないのはとにかく折伏もできなかった
そんななか市大じゃない次第に「この信心で幸せになれるのか?」と疑問がわいてきた

わたしを折伏した先輩は横浜市大に8年いて卒業できなかった
地域の学会幹部は50代で突然死んだりした
そして家庭指導とやらにいったときはかんがえさせられた
お祈りもしない学会員たちは暖かい家庭で暮らし、楽しく仕事をして、
信心深い学会員は病気になったり家庭不和である現実にきがついてきた(そして不幸だから幸せになるため、宗教にのめりこんでいくのだが)

1999年の正月あけ、「学会活動を休む」と両親に話した
それから、だんだん会合にいかなくなり、2001年には本尊も処分した
しばらくは罰におびえたが何事もなかった。学会員は「しんだら動物になる」とおどしたが私の決意はかわらなかった

しばらくたってネットで日蓮正宗の人と知り合い、正宗信者になった
正宗の僧侶と信者は、創価学会が自分たちに対して行っている、根も葉もない批判がウソだと証明してくれた
大石寺にひさしぶりにいった 修行中の少年僧たちは、学会出版物にかいてあるような不良ではなく、中学高校の同級生らにも好かれていた
だが ぜんそくになってしまったため 日蓮正宗もやめた
今は先祖が信じていた真言宗と神社神道を信じている

ながい話をしてしまった
創価学会について語りたいことはいろいろあるが、貴重な休日をついやしてしまうのでこれでやめとく。
さいごにひとこと
「創価学会には入るな!」「2世3世は、徐々にやめていけ」
では さようなら
13 名前:名無しさん:2008/11/17 15:05
瞑想も銀杏の舘で行いますよ
http://www.yokohama-cu.ac.jp/univ/pr/081106chara_events.html
14 名前:名無しさん:2008/12/11 23:20
銀杏の舘の主?
横浜市立大学長=ウメ星国王
http://www.mandarake.co.jp/information/2008/10/08/21spr02/p4.jpg
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