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NO.10391661

明治 法政 中央 日本

0 名前:明法中日:2006/01/06 23:12
元法律学校 神田出生地 文理総合大学 中堅サラリーマン大量養成大学
1 名前:名無しさん:2006/01/08 12:07
今から百二十年前、明治十年代半ばの頃、東京には多くの法律専門学校
が誕生しました。
中でも専修学校、東京法学校、明治法律学校、東京専門学校、英吉利法
律学校の五校は他から区別されて五大法律学校と呼ばれていました。
専修学校は現在の専修大学、東京法学校は法政大学、明治法律学校は明
治大学、東京専門学校は早稲田大学、英吉利法律学校は中央大学となり
ました。
これら五つの法律学校は、フランス法を教える東京法学校、明治法律学
校と、イギリス法を教える専修学校、東京専門学校、英吉利法律学校の
二つの流れからできていました。
これらの学校が誕生したころは、日本ではまだ法制度が未完成の時代で、
法律を学ぶことは、すなわち、外国法を学ぶということだったのです。
現在では、各大学ともそれぞれ学生数数万を数える国内屈指の私立大学
になっていますが、誕生したころは、市井の一学習塾とも大差ない小さ
い学校でした。ほとんどの学校に廃校の危機が訪れました。また、これ
らの学校は、英吉利法律学校を除いて、政治的な弾圧を受けていました。
明治期までの帝国大学法科大学は「役人養成学校」に徹していたため、
弁護士育成は対象外だった。ここに目を付け、弁護士養成校としていく
つかの学校が開設された。五大法学校は、当時のマスコミが与えた呼称
である。
五大といいながら6つあるのは、途中で入れ替えがあったから。
専修は“原加盟校”だったが、後に経済に内容をシフト。
それで、日本法律学校が替わって「五大」の一員になったのである。
2 名前:名無しさん:2006/01/08 12:09
岩田新『日本民法史』は,いわゆる民法典論争の行なわれた明治23年ごろの私立法律学校にこついてこう述べている(193貞)。
「フランス法派としては,明治法律学校,和仏法律学校があり,イギリス法派としては東京法学院,東京専門学校があった。之等は何れも,今日の私立法科大学の前身である」。
「之等の私立法学校は,その後益々隆盛に赴き,非常に多数の学生を包擁した。
此に挙げた四校は,後に出来た日本法律学校と共に,世に五大法律学校と称せられたものであり,吾が国法律思想の普及に貢献したこと,到底官学の及ばざるところである。
何れも明治の末に専門学校令によって大学と改称したが,大正に至って,新大学令による私立大学となった。明治大学,法政大学,中央大学,早稲田大学及び日本大学が之である」と。
3 名前:名無しさん:2006/01/08 12:11
 もっとも,五大法律学校については時代による変遷があったようだ。
明治19年に帝国大学総長の監督下におかれた5校は,専修学校・東京専門学校・英吉利法律学校(のち東京法学院)・東京法学校(のち和仏法律学校)・明治法律学校であり,当時五大法律学校としてしばしば共同討論会を開催している。
明治16年ごろは六大法律学校というのもあった。いずれにしても,野球をはじめとする六大学や五大学よりはまっとうで,快しい呼び名である。そして,これらの五大学が,いまやそうそうたる総含大学として発展していることはなによりよろこばしい。
4 名前:名無しさん:2006/01/08 12:13
*明治30年における法律学校の卒業生数
(1)東京法学院(中央)明19年~2030人,
(2)明治法律学校(明治)明15年~1585人,
(3)法科大学(東京)明9年~843人,
(4)和仏法律学校(法政)明18年~665人,
(5)東京専門学校(早稲田)明17年~570人,
(6)日本法律学校(日本)明26年~378人,
(7)専修学校(専修)明14年~259人,
(8)独逸学協会学校(独協)明21年~164人,
(9)慶応義塾(慶応)明25年~19人
(『九大法律学校大勢一覧』による)。
5 名前:名無しさん:2006/01/08 12:14
 中央大学の創立事情を眺めていると、どうも他の私立法律学校を破滅させる役割を演じている。
 英吉利法律学校の創立に加わったとされるものは十八名いるのですが、そのなかには東京専門学校の創立に加わったものがいて、専修学校で教えていたものもいるのです。
中央ができたことで、早稲田の法科は存亡の危機に陥り、専修の法科は廃止の憂き目にあった。
 まだ、やや時代が下ってからのことになりますが、明治二十三・四年に、民法典論争というのが起こります。
これは、簡単にいうと、法政や明治にゆかりのあるボアソナードが作った民法の施行に待ったをかけたというものですが、このときの反対派の牙城が中央でした。
「民法出でて忠孝滅ぶ」のスローガンが支持を得て、ボアソナード民法は停止され、新しい民法に取って代わられました。
 論争の勝利者には、さらにドイツ法と英法の確執という問題が沸いてくるのですが、それはさておき、この論争に敗れたフランス法の影響は以降、影の薄いものになりました。
 英吉利法律学校のめざしたものがなんであったにしても、この学校の存在は、他の私立法律学校にとっては脅威となったのです。
 いったい、この学校は、だれが、どんな理念で創立したのか。それを暗示してくれる創立者にまつわる『伝説』が、しかし、十八名の創立者たちにはないのです。
6 名前:名無しさん:2006/01/08 12:18
 中央大学の前身、英吉利法律学校は政府―東京大学の私立法律学校潰しの手先だった。
じつは、中央大学のなかで、そのような議論をおこなっていた方がいます。沼正也中央大学法学部教授。
 今を去ること二十年前、中央大学は百年史を編集するに当たって、「大学史研究会」を定期に開いていました。
 一日、基調報告に立った沼教授は、専門の知識を展開して縷々実証を加えた上で、ガオウと獅子吼しました。
 英吉利法律学校は、東京専門学校を潰そうとして政府が建てたものだぞ。設立資金だって政府から出てるぞ。それじゃによって、中央大学に反権力的な側面を見い出すことは、木によって魚をもとめるようなもの。
いってしまえば、英吉利法律学校は、政府に尻尾を振る犬であったぞ。
 中央大学に書くべき正史はない。
 こう断じられて、研究会は俄然色めき立ちました。そんなことはないと否定するもの。やっぱりとうつむくもの。早く終わらないかと時計を見るものetc。
 「講釈師見てきたような嘘をいい」をいっておりますが。
 その後の研究会では、そうでないとする教授による基調報告も行われ、中央大学の理念は、創立の目的は、と議論が行われたのですが、ついに沼教授の主張を打ち消すことはできず、これを「半官半民」の学校であったということで、収めることにしました。
このことをもち出したのは、中央大学屈指の教授、日本近代史の金原左門先生。中央大学百年史は、金原先生の主導によって作られましたから、百年史の基調もまた「半官半民」の学校というかたちでまとめられました。
7 名前:名無しさん:2006/01/08 12:20
 法政大学と同じように中央大学も名称に変遷がありました。
創立時には英吉利法律学校といい、次には東京法学院、さらに東京法学院大学と変え、現在の中央大学と名乗るようになったのは、明治三十八年のことでした。
 では、なぜ中央大学と名乗るようになったのか。
 東京の中心神田にあるから「中央」だという俗説もあるらしいのですが、創立者のひとり増島六一郎が留学したイギリスはロンドンにある法律学校、「ミドル・テンプル」からとったものというのが、いちばん説得力があります。
 その名から想像されるように、イギリスでは法律家養成をお寺が担当しておりました。ミドル・テンプルはなかでも主要な養成学校のひとつでした。ここは、ほかの養成学校よりも異国人を受け入れる傾向があって、日本人の多くはここで法学を修行しました。
 先駆をなしたのは、政友会の領袖となり、衆議院議長のときに刺殺された星亨でした。星は明治七年から十年までここに学び、日本人で初めてバリスター(法廷弁護士)の資格を得て帰朝しました。
 ところで、中央大学の前身英吉利法律学校が創立されたのは明治十八年九月十日のこと。その名も、まさに英法を教えることからつけられたものでした。ところが、翌年、東京大学が東京帝国大学といかめしい名称に変更されて、「東京大学」の名称が空き家になったとき、
では、わが校名を「東京大学」にしようではないかという動きがこの学校におきました。
 しかし、その筋からの圧力があったものやらなかったものやら、この件は沙汰やみになった由。とはいえ、名称の引き継ぎが話題になるくらいに東京(帝国)大学と中央大学の縁は深いものがありました。
8 名前:名無しさん:2006/01/08 12:21
 明治二二年から二六年にかけて英法派と仏法派の間に行なわれた法典論争の勝利者はだれであったか。
 争点の軸をひとりボアソナード法典の断行か延期・廃案かで考えるならば、これは明らかに英法派=東京法学院の勝ちでした。
 法典論争は、実際は法学理論の争いであったばかりでなく、藩閥政府対民権派の対立でもあり、あるいは欧米思想追随主義対ナショナリズムの対立でもあり、極めて重畳的な論争でありました。
 それにもかかわらず、戦場がもっぱら東京法学院対明治法律学校・和仏法律学校のかたちをとって現れたのは、僕など思うに、論争の行方にいちばん直接的利害関係をもっていたのが、これらの私立法律学校だったからではないか知らん。
 ありていにいってしまえば、生徒が増えるのか減るのかという問題だった。そこで、論争後の生徒数の増減をみると。*
 明治三十一年の「九大法律学校大勢一覧」(『日本大学百年史』より引用)によれば、
 明治法律学校の卒業者は論争初期の二三年には446名であるのに、その後は142、147、122、そして論争中に入学した者たちが卒業期に入る二七年には87名と生徒数を減らしています。
 同様に和仏法律学校についてこれをみれば、二三年が104名、以後58、56、51と続き、二七年には51、二八年には38名まで減少した。
 では勝利したはずの東京法学院はどうであったか。さぞや生徒が押しかけて我が世の春を謳歌していたかというと、必ずしもそうではありませんでした。
 東京法学院もまた、二四年に343名の卒業生を見たあと、翌年から減少に転じ、297、151、そして二七年には134名とその数を減らしているのであります。
 じつは、この傾向は東京専門学校と専修学校にも現れていました。
 つまり、この論争の勝利者として英法派に軍配を上げたのでは、ものの見方が単純すぎるということになる。
 
9 名前:名無しさん:2006/01/08 12:23
 では五大法律学校が枕を並べて生徒数を減らしていたとき、生徒数を増やしていたのはどこであったか。新しい法律学校が台頭していたのであります。
 明治十六年九月には、ドイツ学新興のために独逸協会学校が、二二年十月には「日本精神による」日本法律学校が、そして翌年には慶応義塾にも法律科が、それぞれ創設されていました。
 加えて帝国大学法科大学が大増員計画を実施していました。東京大学法学部であった時代には毎年十名足らずの卒業生だったものが、法科大学になると、二一年に59名、以後39,83,43、70,78、そして二七年には74名の卒業生をもつようになっていました。
 本稿で利用した資料の題名がいみじくも語っているように、五大法律学校には当たらしライバルが現れていました。時代は先に紹介した法律学校に関西法律学校を加えて、「九大法律学校」の時代に入っていたのでした。
 東京法学院には、勝利に酔いしれることのできない別の事情も待ち伏せていました。
10 名前:名無しさん:2006/01/08 14:28
早稲田・慶應
 |__|(早慶が無理そうなら)
 ↓
同志社・上智
 ↓  ↓(同上が無理そうなら)
立命、立教・学習院・明治
 |  ↓(無理そうなら)
関学、青学
 ↓  ↓(それも無理なら)
関西、法中成
 |  |(それも無理なら)
 | 武蔵・国学院
 ↓  |
産近甲龍、日東駒専
 ↓  ↓(落ちたら)
代々木ゼミナールOR専門  
11 名前:名無しさん:2006/01/09 07:35
私大の世間的序列

名門…早稲田・慶応
難関大学…・上智・ICU・同志社・立命館・関西学院・明治・学習院・東京理科・立教・青山学院・中央・法政・関西
中堅大学…日本・東洋・駒澤・専修・成蹊・成城・獨協・武蔵・明治学院・甲南・芝浦工業・龍谷・武蔵工業・東京農業
中堅下位大学…東海・亜細亜・國学院・玉川・神奈川・近畿・京都産業

参考
http://www.matsuyama-u.ac.jp/gaiyou/yakuin/yakuin.htm
http://j-rank.net/college.html
12 名前:2ちゃんのコピペ:2006/01/09 09:31
上のレスで、五大法律学校について、よく書かれているが、明らかに誤りもあるので、実際は以下のようだった。

>中央大学の創立事情を眺めていると、どうも他の私立法律学校を破滅させる役割を演じている。
>中央ができたことで、早稲田の法科は存亡の危機に陥り、専修の法科は廃止の憂き目にあった。
これは、中央が破滅させる役割を演じたのではなく、創立順をみるとわかるが、 専修学校、東京法学校、明治法律学校、東京専門学校、
英吉利法律学校という具合に、次々と法律学校が乱立していく過程で、最古参の専修は、隣接の新学校に新入生を奪われる形になり、
法科募集停止となり、以後、経済科への特化という手段をとったためである。
もともと当時の法律学校は、現存するよりさらに多く、飽和状態であった。ただ、後発の中央が法律学校として最も強力であったため、
これが決定打になった可能性はある。専修は、後発の上位4学校よりも、当初から明らかに弱く、いたしかたない面がある。それでも
多くの学校の中で、現在も続続して発展しているのは、勝ち組といえるだろう。
 早稲田の法科については、東京専門学校は、創立当初から政治科と法科を併設していたものの、メインは政治科であり、政治学校の
色合いが強かった。法律学校乱立期には、それが独自色となり、各法律学校とは、異なる人材を集めた。そして、この学校の法科の
ニーズは、当時それほど高くなかったので、しばらく自然と縮小していたわけである。
13 名前:2ちゃんのコピペ:2006/01/09 09:36
>英吉利法律学校の創立に加わったとされるものは十八名いるのですが、そのなかには東京専門学校の創立に加わったものがいて、
専修学校で教えていたものもいるのです。
 東京専門学校の創立も兼任したのは、岡山兼吉だが、東京専門学校も実際は大隈ひとりで創立したわけでなく、若い有志が集まって
設立した学校なので、とくに同じ英法派において、創立者や講師が重複しても不思議なことではなく、当時、珍しいことではなかった。
たとえば、仏法派で、法政創立者たちも明治で教えたりしている。
 
>いったい、この学校は、だれが、どんな理念で創立したのか。それを暗示してくれる創立者にまつわる『伝説』が、
しかし、十八名の創立者たちにはないのです。
 英吉利法律学校の創立者たちの理念とは、
 彼ら18名は、当時の他の学校同様、ほぼ全て東大法科出身。彼らは海外留学により、西洋の近代法の先進性に驚き、
これを東大法科のような限られた官僚予備軍だけではなく、より多くの学生にも伝えるべきだと考えた。
とくに当時、東大では外国人が英語のみで教えていた英法を自分たちが完全に習得することで、日本語に置き換え、わかりやすくした上で、
より多くの学生に伝えたいと考え、またそれを自分たちの使命と考えた。
 そもそも「創立者にまつわる伝説」など、早慶でさえも大隈・福澤を除いては、他の創立者たちのことなど、一般にほとんど知られていない。
 明治・法政・上智・立教なども、どこも同じであり、その大学の関係者などで、歴史沿革や建学の精神に関心を持った人間くらいしか、知らないのが普通。
14 名前:2ちゃんのコピペ:2006/01/09 09:37
 >中央大学の前身、英吉利法律学校は政府―東京大学の私立法律学校潰しの手先だった。
 当時、一私立法律学校が、他の学校を潰す目的を主として創立できる余裕はなく、他の私立学校から見てそう見えたとすれば、
後発の英吉利法律学校が、創立後はやくから生徒数を増やし、他より早いペースで発展したので、その存在自体が脅威となったためである。
つまり、同じ英法系の東京専門学校法科からみれば、生徒の奪い合いという意味で脅威となり、仏法派からみれば、民法典論争敗北により脅威となったわけである。
英吉利法律学校自体は、東京専門学校などに政治的圧力などは加えていない。もしそのようなことをしていれば、明治時代で東京専門学校は消滅しているわけだが、
そもそも英吉利法律学校に、そのような政治力は備わっていなかったから、仮にやろうとしてもできなかったろう。
英吉利法律学校は、しばらく旗本屋敷を仮校舎としており、寄付金によって、自前の煉瓦造り校舎を持てたとのことが、
当時の英吉利法律学校校舎として紹介されているものは、実はその半分だけで、もう半分はまた別な学校が使用していた。
実際、この校舎が全焼して、再建した時は、寄付金などではなく火災保険で一層のみの簡素なものを建てることができただけである。
その後、駿河台を購入するにあたっては、この土地(錦町)は、現・東京電機大に全て売却しなければならなかった。
購入した駿河台も現在の三井住友海上部分あたりのみで、少しずつ買いまして、移転直前の校地面積に広げていった。
15 名前:2ちゃんのコピペ:2006/01/09 09:37
>名称の引き継ぎが話題になるくらいに東京(帝国)大学と中央大学の縁は深いものがありました。
 これも事実誤認。当時、東京法学院と称していた中央は、 東大が、東京帝国大学と改称した後、東京法学院・東京文学院・東京医学校の
3校合同で総合私立大学化しようとした。その際、この3校に共通する名称として、東京大学を候補として、実際に申請もした。
つまり、東京大学という名称にしようとしたのは、いわゆる東大にあやかってのことではなく、統合先の2校とも共通する名称として、
東京大学が使われていないなら、最適と考えたのである。
 その結果、「東大は、帝国大学と改称はしたけれども、世間一般では今でも東京大学という」という理由で、あっさり却下された。
この決定に、東京法学院側は、憮然として帰っていった。この経緯の中に、東大と東京法学院との親密性や縁といったものは、
みじんもみられず、そう書いているのは、ほぼ想像による印象といえる。
16 名前:2ちゃんのコピペ:2006/01/09 09:38
>では五大法律学校が枕を並べて生徒数を減らしていたとき、生徒数を増やしていたのはどこであったか。新しい法律学校が台頭していたのであります。
 ここまで五大法律学校は、どれも私立学校なので特別政府の庇護を受けた学校というのは無い。中央が特別国家の庇護を受けたという形跡もない。
けっこう財政的にも余裕はみられなかった。しかし、新たに明確に国家の擁護の下で出来た学校がある。「日本法律学校」である。
外国法ではなく国法の研究を標榜し(憲法は欽定憲法であるため独法)、これまでの五大法律学校とは明らかに異色であった。
この日本法律学校を脅威に感じ、五大法律学校では対策が協議された。ところが、その後、この日本法律学校を五大法律学校として迎え入れてしまった。
これこそ、在野精神が有名無実となった状況だろう。
中央が日大のように、政府の手先という言われ方をするのは、高文科試験で、常に、この日本法律学校を大幅に上回る実績をあげ続けたからもある。
中央は実力でこの試験に多数受かり、日大は山田彰義の肝いりで多数の合格者を出した。

>民法典論争以降、中央は政府権力に擦り寄り
つまり、高文科試験に多数合格し、官庁に進出することは、他校の妬みも込めて、上のように表現された。
反対に、この分野を避けることを「在野精神」としてプラスにアピールした学校もあった。
実際は、東大の牙城に進出し、勢力を築いていくことは、かなり困難であったことだろう。
17 名前:2ちゃんのコピペ:2006/01/09 09:41
行政官(高等文官行政科)合格者の学歴内訳(明治27年~昭和22年) 秦郁彦著「官僚の研究」講談社

1位  東京帝国大学 5,969名
2位  京都帝国大学   795名
3位  中央大学     444名
4位  日本大学     306名
5位  東京商大(高商) 211名
6位  東北帝国大学   188名
7位  早稲田大学    182名
8位  逓信官吏練習所  173名
9位  明治大学     144名
10位 九州帝国大学   137名
11位 京城帝国大学    85名
12位 東京文理大(高師) 56名
12位 鉄道省教習所    56名
14位 法政大学      49名
15位 関西大学      48名
16位 東京外語      45名
17位 立命館大学     26名
18位 広島文理大(高師) 21名
19位 慶応大学      18名
20位 神戸商大(高商)  15名
21位 専修大学      13名
22位 大阪商大(高商)  12名
23位 台北帝国大学    10名
24位 北海道帝国大学    3名

当時、上記のように私立学校では、中央・日大・早稲田・明治が高文科に進出していた。
とくに中央は、東大以外の大学と比べてあまりにも多いので、妬みと憶測を込めて、
中央は政府と繋がってる、みたいに言われることは、あったろう。
18 名前:名無しさん:2008/03/07 17:40
AERA 2008年1月28日号 私立大学人気企業100社就職率ランキング 
http://opendoors.asahi.com/data/detail/9041.shtml
(単科大をのぞく)
32.5% 慶應義塾  ←早慶
23.4% 学習院大  ←GIジョー
20.5% 早稲田大  ←早慶
19.5% 関西学院★ ←関関同立
19.4% 立教大学● ←MARCH
---------ーーーーーーーーートップ5(就職貴族)
18.8% 同志社大★ ←関関同立
15.9% 青山学院● ←MARCH
15.4% 国際基督  ←GIジョー
15.4% 上智大学  ←GIジョー
---------ーーーーーーーーーー(就職上位の壁)
15.0% 明治大学● ←MARCH
13.7% 中央大学● ←MARCH
13.5% 立命館大★ ←関関同立
11.8% 法政大学● ←MARCH
11.5% 関西大学★ ←関関同立

以下 略
19 名前:名無しさん:2008/09/22 09:08
同じレベルの大学グループみたいだな
20 名前:名無しさん:2008/09/27 14:35
2008年度新司法試験大学院別合格率(合格者/受験者)
<合格者15人以上>
http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h20kekka01-6.pdf 
一橋  61
慶応  57
中央  56
東京  55 神戸  55
都立  49 千葉  49
東北  47
上智  42 京都  42
---------------全国トップ10校---------------------------
市大  40
大阪  39
成蹊  38 早稲田 38
横国  37
九州  36
名古屋 33
―――――――――――――全国平均32.98%(2065/6261)
明治  32
北海道 31 南山  31
関学  30
同志社 28 立命館 28
青山  25
法政  24
立教  23 専修  23  
明治学院22
創価  21
関西  20 大宮  20 学習院 20
日大  18
21 名前:名無しさん:2009/02/07 06:08
予備校の造語マーチの青学、立教よりよっぽど良い
22 名前:名無しさん:2009/04/12 17:29
●私立大学出世ランキング(2008年10月13日号「プレジデント」)
「プレジデント」2008.10.13号に基づいて作成 上場会社役員輩出力ランキング

1位 慶應 (0.096)
2位 早稲田 (0.056)
3位 関西学院 (0.0488)
――――――ーーーーーー出世御三家
4位 関西大 (0.042) 
5位 立教 (0.036) 
6位 同志社 (0.033)
7位 青山  (0.0321)
8位 明治 (0.031) 
9位 甲南 (0.029) 
10位 学習院 (0.025)
ーーーーーーーーーーーーーー出世トップ10
次点法政 (0.024) 

★出世御三家である慶応、早稲田、関西学院は健在(早稲田と関学が僅少差)。
首都圏では青山学院が健闘、明治も順位を上げた。

なんたって慶應
金融機関代表10社。 入学定員による就職率の割合

1.慶応義塾 7.13%
2.関西学院 5.78%
3.同志社  4.95%
4.明治   4.93%
5.甲南   4.66%
6.関西大  3.94%
7.中央   3.92%
8.早稲田  3.76%
9.立命館  2.97%
10.駒澤  2.74% 。
23 名前:名無しさん:2009/08/09 07:14
★旧帝早慶上智MARCH理科関関同立学習院日大の上場社長・役員出世率一覧
※上場企業社長・役員数を各大学別全卒業生数で割って出したポイント(出世率)
※■は国立

■?東京大学:1340人/530.6ポイント 卒業生数 252,552人
  ?慶應義塾:2014人/530.0ポイント 卒業生数 380,000人※予想※ソースなし
■?京都大学: 646人/352.0ポイント 卒業生数 183,534人
■?名古屋大: 274人/297.1ポイント 卒業生数  92,219人
■?大阪大学: 332人/276.7ポイント 卒業生数 120,003人
  ?早稲田大:1578人/247.6ポイント 卒業生数 637,196人
■?九州大学: 283人/227.4ポイント 卒業生数 124,428人
■?東北大学: 285人/217.0ポイント 卒業生数 131,345人
■?北海道大: 245人/205.1ポイント 卒業生数 119,438人
  ?関西学院: 401人/191.9ポイント 卒業生数 208,992人
---------------------------------------------------------------------トップ10
  ?立教大学: 283人/180.5ポイント 卒業生数 156,764人
  ?上智大学: 180人/174.0ポイント 卒業生数 103,458人
  ?中央大学: 726人/161.3ポイント 卒業生数 450,000人※予想※ソースなし
  ?同志社大: 522人/158.5ポイント 卒業生数 329,393人
  ?学習院大: 154人/154.0ポイント 卒業生数 100,000人※予想※ソースなし
  ?関西大学: 362人/123.5ポイント 卒業生数 293,000人
  ?明治大学: 595人/122.3ポイント 卒業生数 486,496人
  ?青山学院: 253人/113.4ポイント 卒業生数 223,134人。
  ?法政大学: 371人/ 98.5ポイント 卒業生数 376,679人
  ?東京理科: 160人/ 96.9ポイント 卒業生数 165,198人
  次立命館大: 271人/ 91.5ポイント 卒業生数 296,185人
参考日本大学: 771人/ 73.4ポイント 卒業生数1,043,609人
24 名前:名無しさん:2009/08/09 07:15
■金融機関代表10社 入学定員による就職率の割合 ■

1.慶応義塾 7.13%
2.関西学院 5.78%
3.同志社  4.95%
4.明治   4.93%
5.甲南   4.66%
6.関西大  3.94%
7.中央   3.92%
8.早稲田  3.76%
9.立命館  2.97%
10.駒澤    2.74%   

広告業界のスーパーエリート★電通★
就職者数サンデー毎日2008年7月27日号

慶応48人
早稲田21人
立教6人
関学4人
青学4人
上智4人
法政3人
同志3人
中央2人
立命2人   
関大1人
明治0人

●全国主要私立大学 文系出世率 (トップ5)

【金融・保険・商社】    【インフラ】     【一流メーカー】
 1位 慶大 26.80   1位 慶應 *4.03   1位 慶大 15.64
 2位 早大 *8.70   2位 早稲 *1.47   2位 早大 *5.64
 3位 上智 *3.98   3位 中央 *1.22   3位 上智 *2.77
 4位 関学 *3.60   4位 関学 *1.11   4位 同大 *1.63
 5位 立教 *2.31   5位 同大 *0.87   5位 関学 *1.53
   
出世率=文系管理職数/文系卒業者数
http://www.geocities.jp/tarliban/joujou-kobetsu.html

慶応>早稲田>関学>上智>同志社>その他
25 名前:名無しさん:2009/10/11 20:24
■地元で馬鹿扱いの大学■

★関東
明治・日大・駒沢・国士舘・拓殖

★中部
中京

★関西
立命館・関西・近畿・京産・甲南...

★九州
福岡
26 名前:名無しさん:2010/01/02 14:22
上位私大
青山学院大・学習院大・上智大・中央大・津田塾大・東京女子大・日本女子大・東京理科大・
法政大・明治大・立教大・関西学院大・同志社大・立命館大・関西大・★南山大・他
http://www.sundai.ac.jp/yobi/highschool/satenet/htm/level.htm
駿台予備校

難関私立大文系コース
私立大選抜
明治大・中央大・法政大・青山学院大・立教大・★南山大などの全国難関私立大学
http://prep.kawai-juku.ac.jp/daiju/2009/annai/kinki/ma-3.php?keiretu_code=3&class_code=5068&class_detail_code=5068
河合塾 近畿地区

■本部校(東京) 国立・難関私立文系コース
名古屋大・横浜国立大・横浜市立大 筑波大・立教大・★南山大など
■大阪校 国立・難関私立コース
北海道大・名古屋大・滋賀大 大阪府立大・神戸市外国語大・★南山大など
http://www.yozemikikoku.com/cource_list.html
代々木ゼミナール 帰国大学受験コース

「有名私大」グループ……明青立法中・関関同立、学習院、★南山の11大学。
http://www.toshin.com/news/topic.php?id=17
東進

ダイヤモンド社 『大学図鑑』 「名古屋の大学グループ ポジショニングマップ」
http://jkidx.sakura.ne.jp/up/up10/data/up0027.jpg

三大都市圏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A4%A7%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%9C%8F


三大都市圏の一角・中京圏の私大ではダントツで別格 MARCH・関関同立と肩を並べる大都市圏難関有名私立大学 南山大学万歳!
27 名前:名無しさん:2010/01/03 05:59
■大学収益力・成長力ランキング マーチ学習院帰属収入02年と07年増減比
http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/815af590705784cf6d58e192d17d5731/
1位法政 49.1%  

7位青学 12.9%

8位立教 12.4%

13位明治 10.2%  

26位中央 3.8%←マーチ断トツ最下位www
28 名前:名無しさん:2010/01/03 06:10
大学のスポーツ界を牽引してるのは、早稲田、法政、明治と言えるでしょうね。
近年、法政にスポーツ科が設立されたのは朗報だと思います。
体育で身を立てたい、と考えるアスリートに受け皿はあった方が良いでしょう。
ぜひ明治にも体育系の学科を設立して欲しいものです。

慶応は、野球もラグビーも早稲田に先んじて創部した伝統校です。
経緯を表するとともに、更なる大学スポーツ界の発展に寄与して欲しいものです。

立教は野球以外に強い運動部を知りませんが、たまにテレビ中継されるアメフトやラグビーでは
つい六大学のよしみで応援してしまいます。個人的には立教新座の甲子園出場も期待しています。

そして東大はご存知のように、全国から英才の集う大学です。そのような彼らが本気になって、
大学野球界のエリート校と真剣勝負をするのが六大学のもう一つの素晴らしさなのです。
29 名前:名無しさん:2010/01/03 14:46
なぜ?
正月にだれもが見ている箱根見たでしょ??
法政?? 

>>大学のスポーツ界を牽引してるのは、早稲田、法政、明治と言えるでしょうね。
30 名前:名無しさん:2010/01/10 01:16
明治やに日大から有名企業に入っているのは大部分が運動部員です。一般の人は入れません

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